どうも、悩み多き「ぷぅすけ」です。
私は子どもの頃から、心因性と思われるさまざまな悩みに苦しんできました。
詳しくはぷぅすけのプロフィールからどうぞ
高校1年生の時から、おならが止まらなくなり、高校生活に支障をきたすようになりました。
日常生活においても、当然ながらいろいろと不都合が出ていました。
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ぷぅすけ大学生になる
2年半という長い期間、高校でのおならを我慢する地獄の日々をどうにかやり過ごした私は、
自宅で1年の浪人生活を送ったのち、晴れて大学生になりました。
大学選びは、自分の学力に見合った大学から選ぶというのは前提になりますが、
「家から通えない大学に行く」
というのが自分のなかでの絶対条件でした。
1人暮らしが必要な大学に行くということでした。
理由は、大学まで電車で通いたくなかったからです。
家から自転車で通える大学があればよかったのですが、そんな大学はありません。
すると必然的に電車通学になる。
おならの悩みをかかえた私にとって、それだけはどうしても避けたいことでした。
親には大変金銭的な負担をかけました。
本当に申し訳なかったという思いが今でもあります。
でも、大学に通うには、徒歩や自転車でいける場所にどうしても住む必要がありました。
そのためには、家から通えない大学に入学して、大学のそばに部屋を借りて住むしか方法がありませんでした。
そんな理由で私は家から離れた大学に進学することになりました。
ぷぅすけの大学生活
私は大学時代、ほとんど家からでない生活を送っていました。
半分引きこもり状態だったと言っていいでしょう。
大学の授業にもほとんど出席しませんでした。
どうしても出席しないと単位がもらえないという授業だけ受けていました。
単なる堕落した大学生活だと思われても仕方ありませんが、
そんな生活になった原因は、やはり「おならの悩み」でした。
高校を卒業してからは、自分の自由意志で行く行かないを決められることが多くなり、それによって私のおならの苦しみはかなり軽減しました。
・大学の講義を受講しない
・人が密集する場所に行かない
・閉じられた空間に行かない
・公共交通機関は極力使わない
必然的に1人で家で過ごす時間が増えました。
おならが原因で大学時代は軽い引きこもりだったといえます。
どうしても避けられない場合のみ、我慢をして耐え忍びました。
大学の授業は1コマ90分と高校の授業のおよそ倍の長さ。
1コマ受講するだけでも「そんなに長い時間耐えられるかな・・・」と不安になり、受講してみたい講義があっても、なかなか受講までに至りませんでした。
アルバイトもほとんどしていませんでした。
浪人時代に1年続けたスーパーのレジ打ちのアルバイトでもおならに苦しめられたので、アルバイトをすることにも不安があったからです。
お金が必要な時にはアルバイトをしましたが、長期でのアルバイトは避け、おならの不安を感じなさそうな場所でのアルバイトを探しました。
短期の工場でのアルバイトなどが多かったです。
まとめ
大学時代、意識的におならを我慢しなければならない環境を避けて生活していました。
それによっておならに苦しむ状況は激減しました。
それでも、我慢しなければならないような状況に置かれると、ほぼ100%の確率でおならに苦しめられました。
結局、苦しまなくてよい状況にいただけで、根本的には何の解決にもなっていませんでした。
またせっかく大学に進学させてもらったのに、ほとんど講義に出ない大学生活を送ったことに対する罪悪感のようなものも、いまだに感じています。
1人暮らしもさせてもらい、親には相当金銭的負担をかけました。
奨学金を借りて卒業後に自分で返したというのはありますが、それでもかなり親にはお金を出してもらいました。
おならで苦しむ状況を避けて生活していた大学時代を振り返ってみて、
おならの悩みからただ逃げていただけだったのでは?
と思う事もあります。
おならの悩みを解決するためにもっと行動するべきだったのではないか?
そうすればもっと違う学生生活を送れていたのではないかとも思います。
でも、高校時代の毎日が地獄のように感じた日々から解放されて、平穏な気持ちで過ごすことができた大学生活は、自分に必要な時間だったと思います。