どうも、悩み多き「ぷぅすけ」です。
私は子どもの頃から、心因性と思われるさまざまな悩みに苦しんできました。
詳しくはぷぅすけのプロフィールからどうぞ
ここでは、ぷぅすけがこれまで悩んできたことをシリーズでお伝えしています。
第4回は「学校の給食が食べられなくなる話」です。
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突然給食が食べられなくなる
小学5年生の事でした。
きっかけは覚えていません。
本当に突然だった気がするのですが、学校の給食が食べられなくなりました。
食べ物を口の中に入れても、それを飲み込むことが困難になりました。
口の中に食べ物を入れると、吐きそうな気持ち悪さに襲われるようになったのです。
たくさん口に入れてしまおうものなら、吐きそうで冷や汗が止まらなくなるくらいでした。
なので、食べ物をちょっとずつ口に入れ、我慢しながらなんとか飲み込むことを続けました。
それまでは普通に給食を食べられていたのに、突然給食が食べられないようになり、パニックに陥りました。
今まで普通に食べられていたので、急に食べられなくなったと誰かに言っても、信用してもらえるはずがないと思いました。
また、給食が食べられないなんてこと、恥ずかしくて誰にも言えませんでした。
自分が弱い人間だということを他人に知られたくないという気持ちが強かったからです。
こうして、毎日食べられない給食をむりやり食べるという苦悩の日々が始まりました。
同時に、給食が食べられないことを他人に悟られないように取り繕う日々が始まりました。
食べられない給食の時間を乗り切った方法
給食が食べられなくなってから、卒業までの1年以上の間、
給食の時間は苦痛以外の何者でもありませんでした。
いくら頑張って食べようと思っても食べられないわけですから。
逆に食べなきゃ!食べなきゃ!と焦れば焦るほど、余計に食べられなくなりました。
そして、それを周りの人間に悟られないようにしなければならない。
いかに食べられないことを隠し通し、ごまかすか、に苦心する日々でした。
まず給食の配膳時に、配膳当番の人に頼んで入れてもらう量を減らしてもらいました。
そして配膳後、同じ班の人に食べたいものを聞いて、あれば全てもらってもらいました。
瓶牛乳も飲めなくなったため、牛乳もこっそり特定の子に飲んでもらうようにしました。
そうやって、まず食べる前に極力給食を減らす努力をしました。
給食の主食は、コッペパンの日と、米飯の日がありました。
食べきれず残ったコッペパンは手で圧縮して小さくつぶし、ポケットに入れて持ち帰りました。
米飯は、パンのように持って帰ることが困難なため、残す量をいかに少なく見せるかという努力をしました。
米飯はふた付きの四角い弁当箱に入っていました。
それを食べる前を強く振ることでご飯が圧縮され、弁当箱の中で米飯は半分くらいになりました。
あとは、残った給食を冷や汗をたらしながら口に入れ、できるかぎり食べるのです。
かろうじて、ほんの一口程度なら無理すれば飲み込めたので、えづきそうになるのを抑えながら、頑張って食べられるだけは食べました。
毎回残すことになるのですが、出来る限り残す量を少なくすることで、先生からの目を回避していました。
結局ほとんど食べていないので、明らかに不自然でばれそうなものですが、
それでも、この方法で先生やクラスメイトから特に何か言われることなく、1年以上の日々を乗り切りました。
サッカー少年団での苦悩から解放されたと思った矢先に、やってきた新たな試練。
それまで毎日学校へ行くことが楽しかったのに、この一件で学校へ行くことが憂鬱になりました。
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誰かに相談しても理解を得られないと思った
それまでは給食が大好きで、給食の時間がいつも楽しみでした。
それが一転、とても苦痛を伴う時間になりました。
もう、食べられないことをどうにかしようという事をあきらめ、食べられないことを周囲にばれないように取り繕うことだけに集中しました。
このことは、当時誰にも相談しませんでした。
先生はもちろん、親にも相談していません。
相談しなかった理由は、誰かに相談しても理解を得られないと思ったからです。
体調不良でもないのに、「給食を食べる」ことが出来ないなんて、信じてもらえるわけがないと思いました。
食べられないことは、「好き嫌い」の問題にされると思ったからです。
もし、親に相談していたらどうなっていたかを想像してみました。
現在、私が小学生の子どもを持つ親なので、自分ならどうするかを考えてみたら、
やはり先生にはその話は伝えておいたほうがよいという話になったと思います。
そうすると、給食の時間は事情を知っている先生からのフォローがあるため、給食を残すことについては何の問題もなくなります。
しかし、私はこのことをクラスメイトに知られることがとても嫌でした。
なのでクラスメイトには黙っていてほしいと先生にお願いする事になり、結局はクラスメイトにばれないように取り繕うことは避けられなかったと思います。
また、先生にそういう目で見られ、特別扱いされることへの嫌悪感もありました。
健常な生徒という目で見てほしいという思いがありました。
親に言えば先生に伝わるという確信があったので、親にも言わなかったのだと思います。
親に自分がこんなことで悩む弱い人間だということを知られることへの恐怖もありました。
親に心配をかけたくないという気持ちもありました。
「給食が食べられない」ことで悩むなんて、ありえないことだと思っていたからです。
今、当時を振り返って思う事
現在、小学生の子どもを持つ親の立場としては、わが子には悩みをなんでも相談してほしいという気持ちがあります。
わが子がひとり思い悩んでいることがある事を知ったら、全力で最大限フォローしてやりたいと切に思います。
しかし、自分がそうであったように、子どもは子どもなりに気を使い、一番相談しやすいはずの親にすら相談できない場合もあるのです。
これを当時親に相談していたら、もっと楽になったのか、問題はもっと早く解決したのか、それは今でも分かりません。
自分なりには小学校卒業までよく隠し通して、つらい日々を乗り切ったと思っています。
もう二度と経験したくありません。
社会に出れば、生き方や働き方などある程度自由に選択が出来ます。
しかし学生は集団生活の中で縛られているため、そこで生きにくい問題が発生した時に、その中で解決ができない限り、そこから外れるしか方法がないと思ってしまいます。
集団生活のルールに乗っかることが困難になった場合、どうすればいいか。
私は給食というルールに従う事が困難になりました。
給食の時間だけ特別に自分がいなくなることができれば、悩みは解消されたかもしれません。
しかし、それは学校生活のルールから外れることになり、クラスメイトの普通から外れます。
私はそれが嫌で、外れないために苦しみながらでもしがみつきました。
なんとかしがみつくことができたから、なんとか小学校をやり過ごすことが出来ましたが、もし耐えられなくなっていたら、スポーツ少年団のように登校拒否になっていた可能性も否めません。
登校拒否になっていたら、親にはその理由は話さざるをえなくなります。
まあでも、そこまで追いつめられたら、親には言おうと思っていました。
自分なりに頑張って悩みと戦い、それでもダメだと思ったらSOSを出して、一番信頼できる人に救いを求めよう。
私が悩みと対峙している時に、ずっと基準にしていたことです。
悩みに立ち向かう時には逃げ道を必ず用意するべき
自分なりに頑張って悩みと戦うこと。
これはもちろん必要なことだと思います。
しかし、これは良し悪しだと思います。
自分なりに状況を変えようと頑張ることは、自分を強くすることに繋がります。
つらいことからすぐに逃げ出す癖がついてしまうのは、それはそれで問題があります。
しかし、無理をして頑張ることで、取り返しのつかないところまで追いつめられる危険性もあります。
最近の、企業での長時間労働による鬱や自殺者の問題が良い例でしょう。
社会では、逃げずに頑張ることの大切さは教えられても、逃げることの大切さはあまり教えられません。
今でこそ、ブラック企業が社会問題となったことで、少しづつ風潮も変わってきていますが、それでもまだまだです。
人は悩みがあった時、世間体やさまざまなことを理由に、自らで逃げ道をふさいでしまう傾向にあります。
自らで逃げ場をふさいでしまうことで、あるはずの逃げ道がなくなり、逃げ道のない状態で極限まで追いつめられた結果、正常の思考ができなくなります。
悩みに立ち向かって戦う事は大切ですが、必ずいつでも逃げだせる逃げ道を自分で用意しておくことが必要です。
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相談することのリスク
また怖いのが、相談した相手に真摯に受け止めてもらえなかった場合です。
私はその不安があり、相談しなかったという理由もあります。
「もう悩みの限界・・・」と意を決して相談してみて返ってきた答えが、
「それは甘えじゃないのか?」
「もうちょっと頑張ってみようよ」
とかだったら、それまで必死に悩みと戦い頑張ってきた緊張の糸がプツンと切れてしまうと思います。
私の場合、「給食が食べられないことに深刻に悩んでいる」と言っても、「頑張って食べてみよう」とか「好き嫌いがあるんじゃないか?」と言われるような気がして言わないでいました。
なぜ「給食が食べられない」ことを親にも言わなかったのか、なぜ親を信用して相談しなかったのか考えてみた時、サッカー少年団を辞めたいと親に打ち明けた時のことを覚えていたからかもしれません。
サッカー少年団を辞めたいと言った時、親から返ってきた答えは
「それは理由にならない」
「もうちょっと頑張ろう」
でした。
そして、すぐにサッカー少年団を辞めさせてもらうことができませんでした。
私としては、もう頑張れないから打ち明けたのに、「甘い」「もっと頑張れ」と言われたことが、とてもショックだったのです。それがずっと記憶に残っていました。
親が軽い気持ちで言った一言で、子どもは深く傷つき、それをずっと忘れずに覚えています。
自分が親になってみて、その時自分の親がそう言ってしまった気持ちもよく分かります。
しかし、ほんのふとした軽い一言でも、子どもに与える影響力の大きさを、親は自覚しておかなければなりません。
私もこれを書きながら、非常に気の引き締まる思いがしています。
この経験から、悩みを打ち明けるのを最後の切り札にするのは、あまり賢明ではないような気がしています。
親や信用できる人に相談する場合、自分にまだ余裕がある段階で悩みを相談したほうが、自分を守れる気がしています。
返ってきたリアクションへの冷静な判断ができるからです。
例えば、「もう学校に行けない」というギリギリのタイミングで親に打ち明けて、もし「そんなのは許さない」とシャットアウトされたら、そこには絶望しかありません。
そう言われても、まだ学校に行ける余力が自分に少しでも残っていれば、その後の対応は可能です。
まとめ
私は小学5~6年生の2年弱、「給食が食べられない」という悩みと懸命に戦いました。
他人から見れば、しょうもないことで悩んでいると思われるかもしれませんが、当時の本人にとっては本当に深刻な問題でした。
なんとか、自分の力でやり過ごすことができましたが、くじけていた可能性もあります。
・悩みと戦うことは大事だが、限界が来たら逃げられる逃げ道をちゃんと作っておくこと
・悩みは親や信頼できる人に余裕のあるうちに相談したほうがいいこと
この2つを、自分の悩みから学びました。
私はこの後もまだいろいろな悩みに悩まされることになりますが、
振り返って一番よくなかったのが「人(親)に相談をしなかったこと」だと思っています。
自分の弱みを他人に告白することは、とても恥ずかしいことですが、それを真摯に受け止め、真剣に考えてくれる人になら、自分をすべてさらけ出してしまったほうが、とても楽に生きられるはずです。
この後中学生になり、給食からお弁当持参にかわりました。
中学生になっても、しばらくこの悩みは続きますが、それは次の機会に。
こちらの記事からどうぞ。