どうも、悩み多き「ぷぅすけ」です。
私は子どもの頃から、心因性と思われるさまざまな悩みに苦しんできました。
詳しくはぷぅすけのプロフィールからどうぞ
ここでは、ぷぅすけがこれまで悩んできたことをシリーズでお伝えしています。
第3回は「サッカー少年団に行けなくなった話」です。
登校拒否のスポーツ少年団バージョンです。
スポンサーリンク
サッカー少年団での挫折体験
小学3年生の頃から、私は地域のサッカー少年団に在籍していました。
毎週土曜日に練習があり、日曜日に試合が入ることもよくありました。
県の大会に出るくらいにはそこそこ強いチームで、そのため練習はとても厳しかったです。
練習は厳しくてつらいものでしたが、その時はサッカーが楽しかったのでそれほど苦ではありませんでした。
このサッカー少年団では、年代別に実力によってグループ分けがされていました。
私は小学3~4年の中学年の時、上位グループに属し、試合では常にレギュラーでした。
それが、小学5年生になり担当するコーチが変わった時に、突然レギュラーを外されました。
試合ではいつも活躍していたという自負もあったので、レギュラーを外された理由が全く分からず、ショックを受けると共に、完全にパニックに陥りました。
それからというもの、自分が試合中にどう動いていいのかが全く分からなくなりました。
自分の動きに全く自信が持てなくなり、ボールを積極的にもらいに行ったりすることが出来なくなりました。
試合中、極力ボールを触りたくない、ボールが回ってこなければいい、と思うまでになりました。
そうなると、試合が苦痛でしかなくなり、ミスも増えるようになりました。
そして、そのうち下位グループに落とされました。
サッカー少年団に行けない日々
理由も分からず突然レギュラーを外され、完全に自信を喪失。
下位グループに降格になり、おさなごころにプライドはズタズタでした。
ショック・悔しさ・恥ずかしさなど、いろんな負の感情が渦巻き、自分の心をコントロールすることができなくなりました。
毎週土曜日が来るのが憂鬱になりました。
しばらくは憂鬱な気持ちを押し殺し、練習に行っていました。
気持ちは完全に落ち込み、もうサッカー少年団を辞めたい気持ちしかありませんでした。
しかし、「辞めたい」と親に伝える事への抵抗がすごくありました。
途中で辞める(脱落する)ことは、ただの甘えだ!と言われると思ったからです。
辞める事を許してもらえないと思いました。
また、自分が弱い人間だと親に思われたくないというプライドもあったかもしれません。
重圧でした。
しばらく我慢して通い続けましたが、ついにその日が来ました。
私はサッカー少年団に行くことが出来なくなりました。
当時の小学校は土曜日は午前授業だったので、サッカー少年団の練習は午後からでした。
いつも学校から帰り、お昼を食べて準備をして、練習に出かけていました。
最初は、学校から帰宅した時に「今日学校で体調悪かったから、練習を休む」と親に噓をついて、サッカーの練習を休みました。
しかし何度も同じ嘘をつけません。でもどうしても行きたくない。
なんとか理由をつけて、練習に行かないでいいようにするしかありませんでした。
すでに私の心はこの一件で疲弊していましたが、それに加えて、
「毎週行かないで済む嘘をどうしようか考えている自分」に、とても嫌気がさしました。
しかし、どうしても行きたくなくて、ついには土曜日の昼になると、本当にお腹がいたくなったり、気分が悪くなるようになりました。
そうして、完全にサッカー少年団に行かないようになりました。
サッカーを続ける選択肢は、私にはもうありませんでした。
学校でいうところの完全に登校拒否の状態でした。
もう自分としては、このまま辞めてしまう流れを想定していました。
しかし、そのうちサッカー少年団のチームメイトが家まで迎えに来るようになりました。
おそらく心配して、良かれと思って誘いにきてくれたのだと思いますが、それは私にとってプレッシャーでしかありませんでした。
来てくれたチームメイトに、行けない理由を取り繕うのに、またひどく消耗しました。
恥ずかしくて、チームメイトに本当の行きたくない・行けない理由を話せなかったからです。
最終的にサッカー少年団を辞める事になるのですが、我慢して通い続けてから、登団拒否をしている間、本当につらい日々でした。
この期間が、のちの自分の精神的な部分に大きな影響を及ぼすことになります。
サッカー少年団を辞めた後、身体に様々な異変が
サッカーを辞めた後、本当に解放された気分でいっぱいでした。
ずっと抱えていた重圧がなくなり、気持ちが晴れやかになりました。
しかし、この後立て続けに色々な悩みが訪れます。
など
そして、どんどんと弱っていきます。